NPO法人 川崎市視覚障害者福祉協会

【視障協の歩み(50年史より)】

結成50周年をお祝いして

社会福祉法人 日本盲人会連合
会 長 村谷 昌弘

 川崎市視力障害者福祉協会が創立されて以来、50周年をお迎えになりました。
お祝い申し上げますと共に50年前、敗戦間もなく、大変な混乱の中に協会を創立しようとして準備に当たられた当時の方々、創立以来、役職に就かれた方々のご尽力に深く敬意を表し、また協会に参加、協力された会員の方々に対し、私からも感謝御礼申し上げます。
 と申しますのは、私が今、その責めを負っています日盲連・日本盲人会連合も50年前、川崎視障協はじめ、全国地域団体の参加とご協力によって結成し、戦後50年の障害者福祉の進展と共に今日に至っている故であります。
私も日盲連結成以来、役職を努め、今日に至っておりますだけに50年の移り変わりが懐かしく思い起こされます。
 川崎市は障害者の特性をよくつかみ、障害者に適応した施策を実施、昭和37年、社会福祉会館内に盲人図書室を開放され、49年には発展的に福祉センター内に移して盲人図書館と改称し、単に図書館としての機能だけではなく、広く視覚障害者にかかる身上、生活相談指導から、視覚障害者の自立と社会参加の促進に努められていると聞きます。これも視障協が川崎市と協調、協力されている所以でもあると私は確信しています。
 終戦直後、戦傷病障害者が保証を求めて体制を組もうとしましたが、進駐軍のGHQから解散を命ぜられ、一般の障害者等による団体結社も進まない中、いち早く結社しました日盲連が戦後の障害者運動の先駆けとなったのであります。
 1948年、昭和23年末から24年にかけて次第に各地域で他の障害者等による障害者団体ができ、これらの団体活動と国民的共感を得、24年12月、国会は身体障害者福祉法案を可決し、公布しました。福祉法は我が国における障害者福祉の基調ともなり、34年に公布されました国民年金法を補完する障害者福祉年金、35年の障害者雇用促進法、45年には障害者総合の心身障害者対策基本法が制定公布され、我が国における障害福祉の理念目的が確立し、国民と共の障害者福祉の行政体制が整ったのであります。
 56年の国際障害者年、58年からの国連障害者の10年、その際、我が政府がたてました障害者対策に関する長期計画、1993年、平成5年からのアジア太平洋障害者の10年、これに続いての障害者対策に関する新長期計画、平成8年からの障害者プランによって、我が国の障害者施策は一段と進展し、障害者も一層勇気づけられました。
 思えば、こうした50年の歴史は川崎視障協と共の日盲連が先駆けとなり、すべてといってよいほどに日盲連が関わりあってきたのであります。
日盲連は川崎視障協が、また全国地域視覚障害者団体が、協調、協力しての運動があってこその成果であり、今日の障害者福祉の現れでもあると私は確信しています。
 重ねて川崎視障協、創立50周年をお祝いし、更なるご発展を祈念し、お祝いの言葉にいたします。

結成50周年をお祝いして 終わり