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昭和36・7年頃 |
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昭和36・7年頃、テープレコーダーの普及にともなって、録音テープによる盲人の読書が各地の点字図書館で企画されはじめました。これは、「点字を読める読者が少ない」という事実を裏に控えてのことなのでした。
川崎では、盲人図書センターの運営に先だって青年赤十字奉仕団川崎分団が市内盲人家庭の訪問調査を行い、多くの盲人がテープレコーダーを持っていないこと、教養書が盲人の読書領域に欠けていること、娯楽ものに要望が高いこと、新聞雑誌、市政だよりなど身近なニュースが伝わらないことなどが明らかになりました。 |
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そこで、貸出用テープレコーダーを準備し、市政だよりを含めた「盲人図書センターだより」の刊行やNHK厚生文化事業団から放送ものテープの借受けなどで、センターの運営が開始されたわけです。昭和37年11月のことです。
しかし、右も左もわからぬテープ作りは、どうしようもないほど難しいものでした。有志で始めた録音も「この程度でよいかしら?」と不安に満ちて、アナウンサーのかたの指導を受けようという声になっていったわけです。
昭和38年8月第一回5日間の講習続いて39年2・3月に第2回の講習会をもち、この受講者のつどいが「水車の会」として出発することになったのが、その4月でした。 |
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昭和37年 |
青年赤十字奉仕団川崎分団がテープライブラリーへ着手
視力障害者の実態調査を実施
市への図書館開設の要請(11月開設) |
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昭和38年 |
月刊テープ雑誌の製作及び盲人家庭訪問活動を開始
録音図書製作講習会(講師 NHKアナウンサー) |
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昭和39年 「水車の会」誕生 |
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4月 |
水車の会第1回会合
・名称決定 |
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名称候補として「明日」「アサヒグループ」「うぐいす会」「やまびこ会」「声の図書友の会」「青い小箱の会」「テープライブラリーの会」「麦笛」「ふくろうの会」「かたつむりの会」「小さな星」「ひびき」「こだま会」「よもぎ会」「きさらぎ会」「朗読奉仕団」「仲間」「ひとみの会」「さざなみ」などなど・・・
以上の中から投票で「水車の会」と決定 |
11月 |
「月刊図書11月号」水車の会製作第1号として発行 |
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水車の会員となったのは長男が小学校へ入学した年でした。20周年をむかえる今年、その長男も1児の親となりました。20年という重みを、しきりにかみしめています。
元会員 稀代素子 |
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昭和40年 |
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2月 |
「月刊図書館」を「月刊えつらん室」と改名 2月号発行 |
4月 |
4月水車の会総会 会員名簿作成(33名)
川崎市より録音図書製作委託を受ける。 年額50,000円 |
5月 |
「川崎市社会福祉会館三奉仕連絡協議会」を結成する。 |
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昭和41年 |
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8月 |
第5回録音図書製作講習会
講師NHKアナウンサー(須田先生・菊谷先生) |
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昭和42年 |
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2月 |
テープ版選挙公報(衆議院議員)発行 |
3月 |
「テープ版婦人公論」2月号発行 |
7月 |
テープレコーダーの“補装具化”のための訪問調査に入る |
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昭和43年 |
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4月 |
テープレコーダー補装具化運動を署名運動として行なう |
8月 |
テープレコーダー補装具化実行委員会結成
第8回(夜の部)第9回(昼の部)朗読講習会
講師 NHKアナウンサー室副室長 須田忠児先生 |
8〜9月 |
灼熱の太陽の下で街頭署名を中心にテープレコーダー補装具化の署名運動を展開 |
10月 |
県社会福祉協議会及び財団法人「奉仕会」より表彰される |
11月 |
盲人家庭訪問指導員制度発足 |
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昭和44年 =水車の会5周年= |
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昭和44年8月5日 毎日新聞 「回り続ける“光の水車”」掲載 |
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昭和45年 |
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・年間テーマ・・・
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「朗読奉仕グループの連携による図書増加運動」全国の図書館を通じて奉仕グループに呼びかける |
・県下奉仕グループの連絡団体結成の準備にかかる |
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昭和46年 |
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神奈川県録音奉仕団連絡協議会結成 会長 斉藤準
これにより横浜・川崎・横須賀・と三ヶ所にある奉仕団が連携しながら視覚障害者の福祉を推進することになり、「奉仕団相互の親睦と研修」「視覚障害者の福祉研究」「録音に関する技術指導」「他地域の奉仕団の結成促進」等を柱として活動を進めていくことになりました。 |
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昭和47年 |
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昭和47年4月号「かわさき市政だより」のテープ版第1号「声の川崎市だより」発行 発行部数50本。発行部数が少ないこと、テープレコーダーを個人で所持している人が少いなど問題点が残った。これに対し、市広報課では「水車の会の協力を得て、視力障害者宅を巡回し、テープとテレコ不足を補いたい。また、民生局とともにカセット型テレコを盲人図書室の備品として徐々に購入していきたい」と言っている。
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(昭和47年5月17日「耳から伝える『市政だより』東京新聞より) |
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昭和48年 |
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川崎 町づくり市民の会を結成
「老人も子供も障害者も誰もがともに生活できる地域社会」を目指してスタート
「障害を持つ人が大人になってから町へ出る。それでは遅いんです。子供の時からみんなと一緒に遊び、みんなと一緒に勉強する。そこから生まれる心のふれあいが最も大切だと思います。障害者をかかえた家庭だけが苦しむのでなく社会全体で分かち合えるようにするためにも、彼等の必要とすることに、私たちの今できることで手助けしていくんです」と会長 伊藤さんは語ってくれました。 |
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昭和49年 |
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・水車の会昼間部解散 (個人ボランティア・水の会結成)
・盲人図書室移転
・奉仕銀行開設
・テープ版図書館だより・みんなのねがい(全障研・機関紙)製作開始
・中原図書館に対面朗読室完成 担当職員は会員の穴水さん
・水車の会 10周年!!
おめでとう、そしてご苦労さん
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昭和50年 |
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統一選挙のため“声の選挙公報”を作成。選挙区改訂→5区220名分で400本となる。
公報 読者の声
「こんなものがあるのを初めて知りました・・・」「テープ版選挙公報は良く解説され、録音もきれいにとれて、大変参考になりました。・・・」 |
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昭和51年 |
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えつらん室100号記念パーティ
実に12年かかりました。読者、会員、OB、歴代図書館長等、関係者多数を迎えて終始なごやかに。
昭和51年11月29日 『活躍する水車の会』毎日新聞 |
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昭和52年 |
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6月21日『参院戦初 声の選挙公報』読売新聞 |
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昭和53年 |
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・講習会を卒業した人のための勉強会「森山学校」始まる。講師 ラジオ関東 森山ディレクター
・「音のしおり」スタート。えつらん室よりもたっぷり一冊一冊の本を本屋さんの店頭で立ち読みをしているような雰囲気で聞けるテープ |
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ニューテープ(朗読テープ)
担当の佐藤さんは「言う事なし」と語る。
※「言う事は無い」と云う一言で、またお話は聞けなかった。良く解釈してもいいんだが、それでは今後、皆様が「な〜し」等と云う一言で、終わらせてしまうと困るので、かってに解釈することにする。「予定は?」と聞かれて「な〜し」と云うことだから、予定が無いということか。せいぜい「ちゃんと創りますョ」ぐらいの事は言って欲しい。予定が無いんだから、このテープは期待はしない方が良いかもしれない。期待してくれるナと云う意味かもしれない。また、コソコソ創るのであまり、他人に教えたくないのかもしれない。
いずれにせよ、楽しみなことです。
会報より
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昭和54年 |
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『盲人に“声の定期便”→15年』 昭和54年5月4日 神奈川新聞 好評な自主取材番組 市外も含め利用者約100人 |
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昭和55年 |
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「声の川崎市だより」100号『会報 すいしゃ』より 昭和55年8月5日 |
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声の川崎市だより
市政だよりは100号を迎えました。
昭和47年の5月号からスタートした声の川崎市だよりも順調に刊行が続けられ、この八月号で100号となりました。
なぜか、合併号の刊行が得意な我が水車にとって、まことにめずらしい記録ではないでしょうか。(でも、あわやこれまでという月もやはり度々あったのですが)
これも初代チーフの楠さんから現三幣さんまで、各チーフを中心にメンバー全員の努力のたまものです。そして、忘れてはならないのは、代々の名マネージャーのフントウではないかと思います。
八年間いろいろな事がありました。三分間の原稿を入れるのに○○分間もかかった○A○A○O○Oさん。・・・帰り道であれは246か?かわいらしい車がひっくりかえって、モウダメダとのニュースが流された○UZ○K○さん。・・・まだまだありますが・・・そうだこれが縁で結婚した人もいましたっけね。
そんなもろもろの思い出をツマミに100号記念パーティを九月の中〜下旬頃やりたいなーぁと、思っています。
(斉藤 準) |
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昭和56年 |
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・録音コンテスト開催 10月18日 於・市民プラザ
市社協主催の「ふれあい広場」への協力参加で、市盲人福祉協会・生録クラブとの共催
・「われら人間コンサート」 9月24日 於・産業文化会館
事務局だよりに発泡インクで点字印刷
・テープ版「防災読本」製作
好評で取材続々。北日本放送からも取材あり
・水車の会 菅生グループ誕生
盲人のための声のボランティアをしようと思い同じ思いを持つ人が集まり、盲人の生活を知り、理解を深めるための講座と朗読の技術的講座を受け、9月に水車の会・菅生グループとして発足(以上 会報・36、39号より) |
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昭和58年 |
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いよいよ川崎ガイドできます |
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1982年朗読講習会を受けた新人の方々の手掛ける「かわさきガイド・文化教養レクレーション」テープ版が、いよいよ完成間近になりました。
同誌は市民局広報課発行の21ページもの。市民プラザ・図書館・公園・寺社の紹介など約30項目を60分テープに収めています。
担当したのは、五月女・小林(千代子)・相川の3人。BGMはリチャード・グレーダーマンの「渚のアデリア」など流麗なもの。この選定は小林さんです。ミキシングもマスターしようと、磯野さんを講師に練習しました。本番は鈴木順一さんにお願いし、録音はほぼ終了しました。
会報「すいしゃ」45より |
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読売新聞 昭和59年1月『水車の会』がんばって光と愛の事業団 福祉活動奨励賞受賞 創立20周年 |
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昭和59年 |
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『盲人用テープ録音し20周年』仲間みんな集まれ!
<朝日新聞 昭和59年11月18日> |
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