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30周年記念誌」 から


ご あ い さ つ
                          水車の会 会長
                                内野 文夫

 早春の候、皆様にはお変わりなくお過ごしの事と思います。
 水車の会は、昨年創立三十周年を迎える事が出来ました。これもひとえに多くの関係者の皆様のご指導、ご鞭撻の賜物と感謝いたします。さて、三十年前に水車の会が出来た時は、どんな世の中だったのでしょうか。今年が戦後五十年、とすると三十年前は戦後二十年目になります。その頃は戦後の混沌とした世相を引きずりながらもなんとか悲惨な姿は脱したけれど、良いニュースが少なかったという世情でした。曰く米ソ宇宙遊泳の成功、日韓国交正常化、ファイティング原田二階級制覇等。悪いニュースは、山陽特殊鋼の会社更生法の適用申請、山一証券の倒産危機、都や国会の汚職等々、世の中は不況のどん底の状態でした。不況と殺伐とした三十年前に、人の為に役に立つ水車の会をつくった人々、多分若い人達の集まりであったと思いますが、当時ボランティアという言葉も一般的でなく、人の為に自分の時間を使って何かを実行するという事は、それを考え、参加し実行し続けていった人々に、その崇高な精神と行動力に、深い尊敬の念を覚えます。今でこそボランティアは普通の事として行われていますが、心に余裕のない不況の真只中であった時代に行われ、その輪が広がり、神奈川県の朗読奉仕会の礎となったものと思いますが、先人達の実行力と創造力に敬服するばかりでなく、これを絶やす事なくこれからも一層読者を増やし、読者に喜んで聴いて頂けるものを作って行かねばと思う次第です。
 最後に水車の会の益々の発展と皆々様の健康を祈って、創立三十周年のご挨拶といたします。

    


結成までのあゆみ
 昭和37年に青年赤十字奉仕団川崎分団がテープライブラリーに着手
 視力障害者の実態調査を実施
 市へ図書館開設の要請(11月に盲人図書センター開設)

 有志でテープ作りを始めたものの、技術的に不安があり専門家の指導を受けようという事になった。

 昭和38年8月にNHKのアナウンサーを講師に迎え、第1回録音図書製作講習会が、昭和39年2月・3月に第2回が開催され、その受講者の集いが4月に「水車の会」として発足した。


1964年(昭和39年)
4月6日   「水車の会」結成
名称候補 「明日」「アヒルグループ」「うぐいす会」「やまびこ会」
「声の図書友の会」「青い小箱の会」「ふくろうの会」
「麦笛」「かたつむりの会」「小さな星」「ひびき」「こだま会」
「きさらぎ会」「仲間」「ひとみの会」「さざなみ」等々

投票の結果「水車の会」と決まった。
連絡係 斉藤 準
武藤 伊都子
山田 孝子
三森 登紀代
市青協 斉藤 準
   (川崎市青年団体連絡協議会)
      11月結成
月刊 図書室  11月号 水車の会の製作テープ第1号
暮らしの手帖
8月3日〜31日 第3回 録音図書製作講習会
                 講師 須田忠児NHKアナウンサー


1965年(昭和40年)
会 長
会 計
書 記
斉藤 準
佐藤 保子
  〃
市青協 斉藤 準
月刊 えつらん室
暮らしの手帖
「月刊 図書室」を「月刊 えつらん室」と改名 2月号発行
4月 水車の会 総会 会員名簿作成(33名)
    川崎市より録音図書製作委託を受ける  年額50,000円
6月30日〜8月18日 第4回 録音図書製作講習会
                講師 須田忠児NHKアナウンサー
”水車の会 昼の部”の想い出
大山 俊子
 「ホー、それで…。」
 「あっ、そこでどうしました…。」私達の読みに一つ一つ相槌をうって、間のとり方や変化のつけ方を教えて下さった、NHKの須田忠児アナ。
 「そういう読みになりますかね−。少し違うんじゃないですか−。」あくまで読み手に考えさせて下さる、和田篤アナ。昭和39年秋から始まった朗読講習会が行われた第二と第四金曜日、社会福祉会館は受講する主婦達の熱気にあふれていた。が講習が終り水車の会昼の部の名前の下に残れたのは僅か15名にすぎなかった。
 二人一組で廻った視覚障害者実態調査、今では持っているのが当たり前のテープレコーダーも、触れた事がない人さえ居た時代。翌年行ったリーディングマシンの補装具化の折り、陳情に行ったナショナルの方が「今カセットにする研究をしている云々」の、カセットってどんなものかも分からなかった私。
 ”テープ版婦人公論”を出すため、本を読み記事を選び、録音をし集め、BGMを入れて編集をし、ダビング発送と、会館の職員に「出勤簿を作ろうか」と言われる程連日通った福祉会館。
 高度成長期、消費者は王様だと言われひたすら金と物を追いかけ始めたあの頃、ボランティアの語さえ珍しくまして実践しているなど言おうものなら、違った人種を見る様な目付きで見られた時代に、私達は何と心豊かな充実した楽しい時を送れた事かと、三十年の来し方を振り返って感謝の念で一杯になる。
 今は違った道に進まれた方、実態調査の折伺って今までずっと続いている、又水車や盲人図書館のテープを通じて知り合えた障害者やグループの素晴らしい友達、本当に幸せな生き甲斐のある私の三十年であった。
 昭和39年の初めての講習を受けてから現在まで、川崎の盲人図書館で活動を続けさせて頂いているのはたった二人になってしまった。伴美津子さんと私だけ・・・・・。


1966年(昭和41年)
会 長
会 計
書 記


監 査
斉藤 準
佐藤 保子
加藤 弘子
井片 純子

武藤 伊都子
市青協

三 奉
斉藤 準

斉藤 準
佐藤 保子
(川崎市社会福祉会館三奉仕会連絡協議会)
     S40年6月結成
月刊 えつらん室  4号(奇数月に発行)
暮らしの手帖    6号
婦人公論       2号 製作開始
水車の会 昼間部スタート
5月28・29日 奥多摩日原川キャンプ
8月3日〜31日 第5回 録音図書製作講習会
             講師 須田忠児NHKアナ・菊谷彰NHKアナ
8月27・28日 中津川石小屋キャンプ
水車の会 らくがき帳より
 Y・K・Oの3人で婦人公論のツギハリをやっている所へ会館職員の西沢氏に案内され一女性現る。どうやら新入会員の見学とお見受けする。やがて見学を終わって「おじゃましました。といともおしとやかな(誰しも始めはそうです。)最敬礼をして去る。そうだ!私も1年前のある日、そんなしおしおムードのトリスマシタスタイルでとっつきにくい声を出してここを訪れたっけ。「私も」「私も」とY・O異口同音…はからずもでした。その外出用のものごしスタイルは、今や作業用のそれとなり、おそまつなねまきスタイルと化す。ああ!
 そこでこんな迷案を考えました。新入会員の見学のあった際「一寸お声のテストを」とか何とか言って、その外出用スタイルの気取った声を録音し名簿と共に保存。半年経ち、1年経ちした後の豹変ぶりたるやお楽しみと言うもの。あ〜あ早く入会していて良かった。そんな意地悪な先輩達がいるんですもの。ちなみに婦人公論今月号はイジワル特集でした。オソマツ。


1967年(昭和42年)
会 長
会 計

書 記


監 査
斉藤 準
稀代 素子(昼)
佐藤 保子(夜)
武藤 伊都子(昼)
片山 温子(夜)

吉田 始世(夜)
八木 須美子(夜)
市青協

三 奉
斉藤 準

斉藤 準
原口 孝造
月刊 えつらん室  隔月刊
暮らしの手帖    3月号
婦人公論       月刊
テープ版 選挙公報(衆議院)
1月8日  新春カルタ大会
2月24日〜4月28日 第6回 録音図書製作講習会
8月〜9月        第7回      〃
6月17日・18日 宮ヶ瀬中津川渓谷キャンプ
7月 テープレコーダー補装具化のための訪問調査
8月21日〜9月18日 朗読講習会リーダー研修
水車の会と私
稀代 素子
 「かって三人の美女ありき。M女は白薔薇、O女は撫子、K女は向日葵の如とSの大臣(おとど)の評しけるも、今は三婆となりはてぬ。」
 文語体ではさしあたりこんな出だしになりましょうか?美女ありき、は知人関係諸氏嬢の噴飯ものですが大目にみてもらって続けます。
 三人の特徴を花になぞらえたSの大臣こと読者の斉藤さんが亡くなってもう何十年か経ちました。M女こと白薔薇の如く気高く聡明だった武藤伊都子さんも5年11月に惜しくも他界され、O女、大山俊子さんは先般「私の新聞切抜帳」300号を発行、戦前の日本女性のの総称ともいえる大和撫子のイメージどうり健気に目標を達成し、その後も黙々と400号にむけての努力に励んでいます。最後に向日葵と言われた払、明るさと逞しさだけを唯一の取り柄として在籍一年強だったと思いますが何の足跡も残さず、その後主人の転勤で仙台に移転してしまいました。当時、新婚まもない斉藤準さん宅で送別会をして頂いた様子を思い出します。隣の部屋に煮立ったお鍋があって、各自が交替でそこへ行き持参の一品を入れてくる。闇夜鍋というのですか?ガム等の怪しい物は幸い入っていなくて、とても美味しく煮上がった鍋に大いに盛り上がった会でした。その時頂いた寄せ書きのアルバム、バスハイクのスナップ写真など今も宝物として大切にしまっています。杜の都、仙台の素敵なオムコさんを紹介して等と寄せ書きしてくれたお嬢さんも、今はいいお母様になられたでしょう。
 結成30周年、脈々と福祉社会の水ぐるまを回し続けて頑張っていられる水車の会の皆さんに絶賛の拍手を送ります。そして私のボランティアとしての第一歩に逞しい情熱と楽しさと、視覚障害者と共に学ぶというボランティアとしてのライフスタイルを30年前行動と体験で教えて下さった水車の会と会員の皆さん、本当に有難う!


1968年(昭和43年)
会 長
会 計
書 記
原口 孝造
広田 由美江
佐藤 保子
三 奉 斉藤 準
吉田 始世
大野木 信子
月刊 えつらん室
暮らしの手帖
婦人公論
1月12日 新春カルタ会(昼の部)
  21日    〃   (夜の部)
2月28日 闇鍋会(斉藤宅)
5月1日  高級井戸端会議
6月22・23日 千葉富津海岸キャンプ
8月 テープレコーダー補装具化実行委員会結成 署名運動展開
8月7日〜9月20日 朗読講習会 講師 須田忠児NHKアナウンス室副室長
S43年 活動記録より
武藤 伊都子
1月29日(月) 
 辻田・稀代・松本・武藤の4人でテープ版婦人公論2月号を持って中央公論社に行く。婦人公論の青柳次長が、10時半から12時過ぎまで1時間半に亘り私達の話を聞いて下さる。テープ版婦人公論をもっと多くの盲婦人に聴いてほしいことを話すと、婦人公論友の会に呼びかけたらどうか、といって下さる。また、対談のテープ等も回して下さるとの事でますます充実したものになりそう。
2月6日(火) 
婦人公論から友の会の頁でなく、4頁程の記事にしたいからと連絡があったので、また原稿を書き直して検討する。原稿に添える資料も9日までに揃えることにする。
2月12日(月) 
婦人公論からの取材が今日になったので特別招集をかけるる。生憎朝のうちは雪!それに今日から16ミリ映写機操作技術講習会が始まる為、保坂さん、高畠さんが中座なさって一寸淋しい。取材に来たのは若いテキパキした女性記者(田口さん)で要領よく質問される。朗読練習風景も見て頂き、記事の内容についてもこちらの希望を述べる。
2月23日(金) 
サンケイ新聞から水車の会の取材に来る。
3月8日(金) 
婦人公論4月号に水車の会の記事「テープ版婦人公論をどうぞ」が出る。反響を期持する。午後から稀代さんの送別会。稀代さんが作ってきたサンドイッチや福祉展のアルバイト料の寄付もあってお菓子が食べ切れない位。4時までコーラスやおしゃべりをして名残りを惜しんだ。


1969年(昭和44年)
会 長
副会長
会 計

書 記


監 査
嘉重 きよ
矢田 真由美
滝島 照子(昼)
吉田 始世(夜)
大山 俊子(昼)
尾形 昭子(夜)
武藤 伊都子(昼)
斉藤 準(夜)
三 奉 斉藤 準
大野木 信子
高橋
森 義隆
月刊 えつらん室 復刊 (前年10月〜3月休刊)
暮らしの手帖
婦人公論
テープマガジン「水車」10月号より製作開始  3号
6月15日  創立5周年記念式典 中原会館
8月2・3日 荒ア海岸キャンプ
10月9日〜11月21日  朗読講習会
読者からのお便り
室賀 ちづ子さん
 先日の10月号の婦人公論は、内容といい朗読といい本当に有益で楽しく聞かせて頂きました。ところで、テープに対する意見をというお話ですので、感じております事を書かせて頂きます。その1つは、音が大きくなったり小さくなったりしますので、お勝手仕事や繕いものをしながら、音量を直さねばならず非常にいらいらしてまいります。次に言葉をはっきりと言って頂きたいです。もちろんきれいな発音の方もいらっしゃいますが朗読に慣れない為でしょうか、不明瞭な所があり聞きづらいので工夫してください。編集の時には1面が終った時“これで裏面に回ります” とか”第1巻を終ります”とか入れて頂きたいと思います。仕事をしながらですと何分位聞いたのか分からなくなるからです。また「月刊えつらん室」も立ち消えになったのか、私の所へは届きません。あるいは作られていても私の所へ届かないのかも知れません。このえつらん室を“声の雑誌”“耳からの情報”として是非発行し、水車の会の皆様の意見なり作品なりを紹介して下さると共に、私達の文芸作品ものせて頂いてもっと親しみの持てるものにして頂けたら幸いに存じます。


1970年(昭和45年)
会 長
副会長
会 計

書 記
嘉重 きよ
森 義隆
岡田 誠子(昼)
佐々木きみ子(夜)
武藤 伊都子(昼)
小野 久留美(夜)
三 奉



県録連
斉藤 準・ 武藤 伊都子
千枝 忍・嘉重きよ
大石 敏彦・ 針ヶ谷由子

斉藤 準・小野久留美
  (神奈川県録音奉仕団連絡協議会)
       12月6日結成
月刊 えつらん室
暮らしの手帖
婦人公論
テープマガジン 「水車」
9月17日〜10月27日 朗読講習会  講師 和田篤NHKアナウンサー
テープマガジン水車 S45・4月号台本より
 皆さんこんにちは!
 重たいコートも脱ぎ捨て身も軽く自然も芽吹き、何かとても嬉しいことがおこりそうなこの頃ですね。年度が変わり、みなそれぞれ希望もふくらんで張り切っていらっしゃることと思います。万博も開幕しもう見学に行かれた方もあるのでは……貧乏暇なし、大阪まではとてもとおっしゃる方には是非今月号の特集でお楽しみ下さいませ。それでは水車4月号の目次からお届け致しましょう。

第1巻 第1面 扉  三好達治「草千里浜」
           話のくずかご 初の人工衛星「おおすみ」他
    第2面 特集 万国博覧会 開幕

第2巻 第1面 連載「樅の木は残った」第4回目
    第2面 あたたかくなり何かと外に出る機会が多くなります。
        交通事故に目を向けてみましょう。
        「万一、交通事故にあったらこれだ桝ま覚えておき
         ましょう」
        佐賀潜の民法入門
                         以上です。
 どうぞごゆっくりお聞き下さい。


1971年(昭和46年)
会 長
副会長

会 計

書 記
武藤 伊都子
針ヶ谷 由子(昼)
森 義隆(夜)
吉江 弘子(昼)
斉藤 君江(夜)
伴 美津子(昼)
福原 初恵(夜)
三 奉



県録連
斉藤 準・武藤 伊都子
嘉重きよ・針ヶ谷由子
小野 久留美・楠 幸雄

斉藤 準
小野 久留美
月刊 えつらん室  12号
暮らしの手帖
婦人公論
1月14日     新春カルタ会
4月7日〜26日  朗読講習会
9月3日〜28日    〃
S46年11月1日付け 三奉機関誌”ひろば”より
酒井 静江
 ことばを覚え始めの幼児のように、基本的な発声練習、特殊音の練習、音声表現の数々先輩のご指導をいただいて6ヶ月。水車の会の新入生です。お役に立つかしら、立てたら嬉しいと思い朗読奉仕に参加させていただいた。さてやり始めてみて、正しい話し言葉、正確な伝達カを養うこと。日本人である私が日本語の難しさを、これほどまでに痛感するとは思わなかった。何でもそうであるが大変な努力がいる。やれるかな、いつまで続くかとにかくやってみよう。全身を耳にして聞く障害者、中には博学な方もいらっしゃるだろう。私が読んだものなど聞き苦しい点が多かろう。早く耳障りでない朗読がしたい。視野の狭い主婦である私。福祉行政の形態機構といった社会に目をむける事が出来たのは良かったと思う。福祉行政に携わる方、奉仕者、障害者、三者の心の交流があって、そこに小さな灯がともされるのではないだろうか。新聞、ラジオ、テレビで見聞きして心を痛めても、拙い祈りしか出来ない私。直接肌で感じなければ、しょせん他人ごとで過ぎて行く。主婦の余暇をそれぞれの分野で社会に目を向け、お互いに助け合えたら少しでも明るい社会になるのではないだろうか。
 私の努力がものにならなくても、無駄ではないと思う。学んだだけ身についたのだから、障害者のおかげで。このような勉強をさせていただくチャンスを得たことを感謝したい。学ぶという事は楽しい。死ぬまで続くであろう「学ぶ」という事。水車の会でお会いした皆様方、私にはない魅力を持っている先輩方にほのかな恋心のようなものさえ感じ、例会を楽しみにするこの頃です。


1972年(昭和47年)
会 長
副会長

会 計

書 記


監 査
針ヶ谷 由子
保坂 豊子(昼)
楠 幸雄(夜)
吉江 弘子(昼)
中島 美智子(夜)
山本 惇子(昼)
穴水 典子(夜)
加藤 弘子
三 奉



県録連


川ボラ
嘉重 きよ・武藤 伊都子
針ヶ谷 由子・楠 幸雄
安部 政弘・鈴木 順一

斉藤 準・嘉重 きよ
鈴木 順一

斉藤 準・嘉重 きよ
(川崎ボランティア協議会)
  3月12日結成
月刊 えつらん室   5号
暮らしの手帖     2号
婦人公論
声の川崎市だより 5月号より製作開始  8号 50本
     テープレコーダーの清掃を兼ねて
            家庭訪問を行っています  水車の会
広報県録連 第2号より
 視力障害者の行動が色々の面で活発になってきましたが、それに伴い読書以外のニーズが増えつつあります。そこでそれらに対応出来る奉仕会の結成を目指して活動を始めました。その手始めが今回の「テレコの清掃と整備」です。簡単な講習の後も二人づつペアーで訪問しています。
 貸出テレコの中には3年間も整備していないものもあり、その汚れのひどさにびっくり!!ヘッドの汚れ、駆動ベルトのゆるみ等続出でインスタントの電気屋には手に負えないものもありました。これらの作業をしながらおしゃべりが始まりますが……育児の話、料理の話、オシャレの話、奉仕会への要望からアドバイスまで続々と出てきて予定時間を大幅に延長、結局のところまず話し相手が欲しいといったところでしょうか?
 それにしても各人各様のニーズが出てきて二度びっくりでした。
 障害者との人間的ふれあいをめざした活動の範囲も、近ごろはテープ作りに重点が移ってきたようですが、この活動のまとめと共にもう一度活動について考えてみたいと思います。


1973年(昭和48年)
会 長
副会長

会 計

書 記
針ヶ谷 由子
吉江 弘子(昼)
山本 一彦(夜)
中村 光子(昼)
小野 久留美(夜)
山本 惇子(昼)
鈴木 順一(夜)
県録連


川ボラ
斉藤 準
岡田 誠子

斉藤 準

町づくり市民の会結成
 
月刊 えつらん室
暮らしの手帖
婦人公論(S48年12月迄に通算80号製作) 
         以後暮らしの手帖と共に図書館へ移行
声の川崎市だより
 
7月5日〜10月1日 朗読講習会 講師 橘高校 山口先生
 
 
月刊えつらん室 S40年4月号 台本より
 
 かたりべ(語部)や、うたいて(唱手)が口伝えに知識を後世に伝えたという時代、そしてチグリス、ユーフラテス地方の粘土板で出来た文書、古代エジプトのパピルス、グーテンベルグの印刷機から生まれた聖書、この歴史の流れのなかで今や新刊14000点、総数1億7千万冊にものぼる図書が出版されているとか。1年間に日本で刊行された図書だけでも、このように膨大なものになるとはまったく驚いてしまいます。人間の知恵はいったいどこまでふくれていくのかと怖れさえ感じてきます。
 月刊えつらん室はこうして数多く世に出る本のいくらかをここにまとめ、より新しい時代に生きる読書の手がかりにして頂ければ・・・・・そんな事から生まれた読書の案内板です。
 今月の第1頁は、講談社から出た最近の図書を中心に朝日ジャーナル、週刊朝日、サンデー毎日、日本読書新聞などから書評をお伝えいたします。
第2頁は、奉仕会だより、点訳奉仕会と水車の会のご紹介を致します。
第3頁は、“今月のコーナー”東京大学医学部教授 時実利彦さんの随筆「入間であること」そして第4頁は、皆さんの更生要具製作販売所の所在地、取扱い要具などをお知らせ致します。
 それでは第1頁、最近の墨字図書から始めましょう。


1974年(昭和49年)
会 長
副会長
会 計
書 記
鈴木 順一
草刈 恵理子
久保内 薫
田村 一夫 
県録連


川ボラ
町づくり
鈴木 順一・山本 一彦
田島 かよ子

斉藤 準
月刊 えつらん室
声の川崎市だより    12号
みんなのねがい (全障研 機関紙) 製作開始
テープ版 図書館だより
創立10周年
昼間部解散 個人ボランティア“水の会”結成  
盲人図書館 日進町福祉センターへ移転
月刊えつらん室S49年第5号 進行表より
A面
  メインアナ   山本 一彦
  サブアナ    秋葉 里美
  ベストセラー  菅野 和子
    1.ノストラダムスの大予言
    2.さびしい乞食
    3.食べるだけでやせる
  ムード音楽   「ひき潮」
  書評      秋葉 里美  伊藤整「青 春」
  レコードジャケット  北山 四郎   落語のレコード
  新刊書     斉藤 準   「アラスカ物語」他    
B面
  特集      座談会「物価高について」
  朗読      「初歩の推理小説入門」 その2
  ものずきレポート  鈴木 健次  「多摩川渡し船」


1975年(昭和50年)
会 長
副会長
会 計
書 記
鈴木 健次
野口 三千代
北山 四郎
佐藤 直子
県録連


川ボラ
町づくり
鈴木 順一・山本 一彦
野口 三千代

斉藤 準・中田 利子
橋本 範子
月刊 えつらん室    90本
声の川崎市だより    12号
みんなのねがい
テープ版選挙公報(統一地方選)  400本
7月8日〜9月 第15回アナウンス講習会
              講師 安藤八重子ラジオ関東アナウンサー
9月7日 梨狩り
会長就任のご挨拶
 (S50年5月27日付け会報より)
鈴木 健次
 4月6日の総会で鈴木順一君の後を引継ぎ会長を引き受けたわけですが、ボランティアとか奉仕活動とかいう意識に欠け、水車の会を放送同好会的にしかとらえていない自分が、会長になることに若干の戸惑いを感じましたが、学生生活の最後の一年間を無為に過ごすよりも何かを見つけたい、そんな気持ちで引き受けました。この一年間一生懸命頑張るつもりですので、どうぞ宜しくお願いいたします。
 水車の会も結成以来11l年目に入り、集まり散じた人々も相当数にのぼると思いますが、そうした歴史の積重ねの上に新しい活動というものが成り立っていくのではないでしょか。先日読者の方からお便りがあり、水車の会のテープを楽しみにしていられるとのことでした。その手紙を読んだ時とても嬉しくなりました。読者の方々の手ごたえをビンビン感じられるような、そんな活動を目ざして頑張っていこうと思います。
 S50年 年間ベストセラー(有隣堂 伊勢佐木店調べ)
  1. 紅茶キノコ健康法         中満須磨子
2. 眼がどんどんよくなる       ハロルド・ペパード
3. 複合汚染(上)          有吉佐和子
4. 謎のパミューダ海域        C・パーリッツ
5. 梅干と日本刀           樋口清之
6. 欽ドンいってみようやってみよう  萩本欽一
7. ブラックホール          J・テーラー
8. 親の顔が見たい          川上源太郎
9. 播磨灘物語(上・中・下)      司馬遼太郎
10. 複合汚染(下)          有吉佐和子
 


1976年(昭和51年)
会 長
副会長
会 計
書 記
山本 一彦
佐藤 直子
掛川 裕彦
小沢 知恵美
県録連


川ボラ
町づくり
磯野 恵一・近野 豊
野口 三千代

斉藤 準・小野 久留美
冨塚 清子
月刊 えつらん室    11号
声の川崎市だより    12号
テープ版選挙公報(衆議院)
4月18日 読者との懇談会
7月31日〜8月1日 本栖湖キャンプ
7月13日〜9月14日 第16回アナウンス講習会
                講師 磯浦康二NHKアナウンサー
9月10日〜12日 合宿 熱海湯河原
9月19日 梨狩り 会員9名 読者 堀内さん一家・舟木さん
11月28日 月刊えつらん室100号記念パーティー
         福祉センター5階ホール  講演 山内雅人氏
三幣学校始まる 毎月第4火曜日 講師 三幣達也(会員)
月刊えつらん室 S51年第2号 反省会より
オープニング
   ・テーマ曲に対してタイトルの言い方が合
わない

   ・音の下げ方などミキシングが悪い
   ・原稿を追いかけすぎる
      (先が見えていないで紹介しているようだ)
   ・斉藤さんがパッとしない(元気がなかった)
ベストセラー
   ・印象を与えるアナウンスだが冷たい感じがする
   ・相手がうなずく時間がない
   ・全体的に強い感じなので本当に重要な所がわからない
新刊書 
   ・ゆっくり読みすぎ(テンポがあった方が良い)
   ・メインアナとのやりとりは良かった
新刊書から書評へのつなぎ
   ・技術的に良かった
   ・始めの方よりメインアナの話し方が自然になってきた
トピックス
   ・出典が後になり紹介順が逆では?
      (紋切り型でなく、時にはそれでもよいのでは)


1977年(昭和52年)
会 長
副会長
会 計
書 記
磯野 恵一
冨塚 清子
達 依久子
上原 正子
県録連


川ボラ
町づくり
磯野 恵一・近野 豊
野口 三千代

斉藤 準・小野 久留美
小沢 知恵美・根本 都
月刊 えつらん室    12号
声の川崎市だより    12号
テープ版選挙公報(参議院)
3月19日〜21日 スキーツアー 石打丸山  参加 7名
6月・7月・8月 福祉センターがスプリンクラー工事のため
                     古巣の社会福祉会館で活動
8月2日〜9月16日 第17回朗読講習会は中原市民館で開催
10月16日 読者との合同高尾山ハイキング 会員 12名
                      読者(家族)13名
ある日の活動記録より
上原 正子
 前々回からセンターに戻ってきました。
 そして前々回と前回は講習会がありました。18人の方が続けて下さるということで成果があったようです。でもこれからが大変ということで、今日“モミ(喫茶店)”でテープ関係の話し合いがあるそうです。

 今日は市政だよりの編集を楠さんが一人で一生懸命やっています。
 今 7:35 表面が終って、休憩中。ガンバッテ!
 でも今日は10人、少ないですね。寂しいといった感じ。みんな忙しそうで、私一人のんびりと会員住所録を書いていて、今一時中止してこの活動記録を書いています。ずっーとさぼっていて書かなかったから反省の意味をこめて・・・・。
 さて、これからまた新会員の住所録を書きましょう。


1978年(昭和53年)
会 長
副会長
会 計
書 記
佐藤 直子
斉藤 準
上原 正子
達 依久子
県録連


川ボラ
町づくり
山本 一彦・小林 美恵子
野口 三千代


斉藤 準・ 根本 都
小野 久留美・ 冨塚 清子
小沢 知恵美
月刊 えつらん室    12号
声の川崎市だより    12号
音のしおり 製作開始   7号
7月11日〜9月5日 録音ボランティア講習会
7月26日〜  森山学校スタート(隔週水曜日夜)中堅会員対象
            講師 森山親弘ラジオ関東ディレクター
9月17日 宮ヶ瀬ハイキング  会員(家族)16名・読者 4名
12月30日〜1月1日 スキーツアー 石打丸山
S53年2月14日付け会報より
楠 幸雄
 「恥」というのは「恥ずかしい」と思う心があるから存在するのです。水車のつくるテープは「恥」のかたまりかもしれないと思うことも出来るのです。なぜなら、恥ずかしながらという点が次々と再生されるからです(もちろん開き直ることも、その中に含まれると思います。)それでも毎月々々生産されています。恥というものは、それが改善されなければ、恥でもなんでも無いものなのかもしれません。改善できないような事は無理といってあきらめるより他ないのです。
 一定しない音量、勉強不足の為の誤読、チグハグなおしゃべり、おもしろさ不足の内容、手抜き企画、例は出さぬほうが僕の身の為。でも言える事は改善は出来るはずのものばかり、無理な事ではなく・・・・。では恥の大量生産と言う訳ですね。無駄と迷惑の生産になっていないだけがせめてもの救い。      
S53年度 年間ベストセラー(東販調べ)
1. 頭のいい税金の本    野末 陳平  
2. 和宮様御留       有吉 佐和子 
3. 五味手相教室      五味 康祐  
4. 黄金の日々       城山 三郎  
5. 不確実性の時代     ガルブレイス
6. 海を感じる時      中沢 けい
7. 不毛地帯(3・4)    山崎 豊子
8. ライフワークの見つけ方 井上富雄
9. 犬 笛         西村 寿行
10. 野性の証明       森村 誠一


1979年(昭和54年)
会 長
副会長
会 計
書 記
山本 一彦
冨塚 清子
小林 美恵子
柴田 真理子
県録連


川ボラ
町づくり
山本 一彦・小林 美恵子
野口 三千代

斉藤 準・磯野 恵一
佐藤 直子
月刊 えつらん室    11号
声の川崎市だより    12号
音のしおり        8号
テープ版選挙公報(統一地方選)  180本
7月10日〜9月4日  録音ボランティア講習会
              講師 安藤八重子ラジオ関東アナウンサー
10月7日  創立15周年記念パーティー
音自慢の水車
三幣 達也
 現在の“声の川崎市だより” “えつらん室” “音のしおり”の三本柱は、既にこの頃から確立していましたが、人手の制約もあって常に市政だより中心の録音体制でした。ときどき原稿が遅れ、まだ新聞の形になっていないゲラ刷りの記事だったこともありました。それだけに例会の時間内では到底消化できず、平日に収録するのが当たり前でした。人の手当てや割り振りなどの面倒な仕事を、若い久保内さんが一人でしてくれました。彼女は番組には一切登場せず常に裏方に徹し、録音に立ち会うだけでなく、事前に担当者の自宅へ確認電話を入れて、スムーズな進行を図っていました。
 楠、鈴木、磯野君といった新城高卒のミキサー連もまだ若く、時間的にもかなり融通がきいたので、昔のマニアとして自信を持った番組を作っていました。
 音自慢といえば、県録連コンテストに参加したドラマ「座敷ぼっこ」でしょう。都銀勤めの小沢さんのやや間の抜けた実にかわいい女生徒、それに先生は現職の国語教師といった按配で、山本君の一世一代のナレーションとともに、特に効果音や音楽が抜群で、「他の会の録音構成とは別格扱いにしたい」と、居並ぶプロの審査員から好評をもらう出来映えでした。
 中東産の原油価格が一方的に吊り上げられ、二次のドルショックもあって、ガソリンの値上がりはもとよりトイレットペーパーの品切れまで起こった混乱の後遺症が残り、社会的には沈滞と激動が入り雑った時代だっただけに、このような作品を出せるグループが何とも新鮮で魅力的でした。


1980年(昭和55年)
会 長
副会長
会 計
書 記
監 査
磯野 恵一
野口 三千代
長田 美穂
高橋 昭子
村中 孝
県録連


川ボラ
町づくり
鈴木 順一
磯野 恵一

斉藤 準
楠田 五郎
月刊 えつらん室    12号
声の川崎市だより    12号
音のしおり        2号
テープ版選挙公報(衆議院・参議院同日選)
声の川崎市だより 100号突破
5月25日  マザー牧場ピクニック
7月8日〜9月9日  朗読講習会
大ちゃんと遊んだ一日
(S55年9月2日付け会報より)
 
岡 道子
 前日からなんとなく緊張していた。修学旅行前夜のような期待と不安感だ。どんな子供だろう、大人は何人くらいかな、名札はあるのかしら、何かおもちゃがあればいいのに、そうだ絵本くらい持っていこう。
 とうとう朝が来た。色画用紙で作った名札と絵本を抱えて出かけて行った。市民プラザの2階には白い杖を持った人が歩いていた。ロビーの机の上で模造紙に何か書いている人、扉に近々と顔を寄せて部屋番号を確かめている人、走り回る男の子を追いかけているお父さん。私はすることもなく、ぼんやりとそんな皆を眺めていた。盲導犬を連れた人が立ち止まり方向を考えている様だった。「どちらへいらっしゃるのですか?」「10号室へ」「じゃあ左の方です。それからまっすぐ」その人は英語で犬に指示を与えていた。
 どうも早く来すぎてしまったらしくボランティアの人はまだ誰もいない。でも走り回るあの男の子と遊んでみよう。思い切ってそばの人に自分の存在を話してみた。男の子は“大ちゃん”だった。大ちゃんはすぐ私の相手になってくれた。後ろから腑の下に腕をまわし抱きかかえ「ブーンひこうきだぞ」といって体を振り回してやると、こちらが目が回ってくたくたになっても「もっともっと」とせがんできた。プラザの中を上へ行ったり、下へ行ったり1時間余りが瞬く間に過ぎた。これでいいんだ。勇気を出してちょっと一言声をかけさえすれば、私達の出来る事は沢山あるんだ。そう思っているうちに他のボランティアの人達が集まり、子供たちが預けられ仕事が始まった。ドシャ降りになってしまった帰り道、快い疲労感の中でこの一日を思い返していた。ボランティア活動などと大げさに考えなくていいんだ。「必要な人に必要な時に一声かける勇気があれば、いつでも出来る事なんだ。」と。
 ”全視協婦人のつどい”でお手伝い頂いた時の感想です。


1981年(昭和56年)
会 長
副会長
会 計
書 記
監 査
山本 一彦
加藤 智子
高橋 昭子
井沢 史子
小沼 紀雄

県録連


川ボラ
町づくり
鈴木 順一
磯野 恵一

斉藤 準
月刊 えつらん室     6号   79本
声の川崎市だより    12号   66本
音のしおり        5号   55本
テープ版 防災読本        200本
水車の会 菅生グループ誕生
7月18日・19日  合宿 箱根 太陽山荘
8月4日〜   朗読講習会   講師 民話作家 萩坂 昇氏
10月18日  録音コンテスト 
S55年12月2日付け会報より
斉藤 和美
“こんにちは”と声を出してから“では来月号までサヨウナラ”と言い終える間の長さはどうしてでしょうか?
 私達が気軽に街の本屋に立ち寄って”あら、こんな本が売れているのネ”とか“こんなめずらしい料理の本、きれいな写真ネ”とか手にする楽しみを「えつらん室」に出せたちと思うのです。ほら神田の古本街を足が疲れるまで歩いて目的の本を探す楽しみ、帰りに飲む一杯のコーヒーの味、香りといったそんな雰囲気、分かりますでしょう?そんな風にしてみたいんですが……。
 読者が早送りしないで各パート満足してもらえる様にするには、サテどうしたち良いのかナ?という訳で新年号から内容一新、意外性と機知に富んだ(?)テープにすべくスタッフがカンカンガクガク検討中です。
 オープニング、ペストセラーズ、新刊書案内、書評、裏面に移っていつも声優探しに走り廻る、おなじみ劇場みずぐるま、読者の声を伝える伝書鳩、そしてエンディングという内容に変わりはありませんが、各パートとも工夫を凝らして出演者の演技力もしくは教養、又はユーモア度がとっても大切になりそうです。
 えっ、自信無いなんていうのはどなたですか?あくまで前向きにサァ手を挙げてどんどん出て下さい。やりたい事、やれる事、どんなアイディアでも歓迎です。「えつらん室」はあなたの為にありま〜す。


1982年(昭和57年)
会 長
副会長
会 計
書 記
監 査
野口 三千代(杉友)
磯野 恵一
高橋 昭子
倉林 昌浩
楠田 五郎
県録連


川ボラ
町づくり
石川 義晃
斉藤 和美

斉藤 準・小林 美恵子
佐藤 直子・小沼 紀雄
月刊 えつらん室    12号   80本
声の川崎市だより    12号+増刊号 100本
音のしおり         5号   60本
テープ版選挙公報(統一地方選)  234本
市政だよりのダビングを福祉作業所「なかまの家」へ委託
7月〜9月14日  朗読講習会
「水車の会」の思い出
三石 直子(旧姓 佐藤)
 「水車の会」三十周年おめでとうございます。何か思い出をという事で筆を 取りましたが、私の「水車の会」との出会いは二十年位前になります。その頃 の「水車の会」は、新城高校の放送部のOBや現役で、とても賑やかで活気に 満ちていて、活動が終わった後も駅前の喫茶店に寄っては、なんだかんだと話 し合いをしたのも懐かしい思い出です。
 当時のテープは「月刊えつらん室」と「市政だより」で、何も分からぬまま に原稿を読んでいたりしていました。聞いて下さる方に意味の通じるように読 む事の難しさを感じてめげてしまうことも度々で、当時、県録連の録音コンテ ストで他の奉仕団の方達のとても上手な読みや制作テープを聞いて勉強になり ました。読者の方達といろいろな催しや卓球大会、コンサートにご一緒に出か けたりしている内に、もっと気軽に、私達が書店で立ち読みするような感じで 本の紹介をするテープがあってもいいのではと思って作り始めたのが「音のし おり」です。今でもこのテープ制作が続けられているのはとても嬉しい事です。
 時間の制約のあるなかで様々な作業を消化していくのはとても大変な事ですが、作る事に意識を集中させないで、いつも聞く人の立場に立った「あなたの 為のテープ」を目指して、これからも頑張って欲しいと思います。「私の声を あなたの為に使いましょう。」その使い道は、これからはもっともっと多様化 していく事だろうと思います。お年寄りや病院に入院中の子供達など、きっと 「私の声」を待っている筈です。もっともっと大きな「水車の会」になる事を 心からお祈りしています。


1983年(昭和58年)
会 長
副会長
会 計
書 記

監 査
石川 義晃
古沢 里美
五月女 美南子
小林 千代子
相川 光子
山本 一彦
県録連


川ボラ
町づくり
石川 義晃
斉藤 和美

斉藤 準
月刊 えつらん室    8号    90本
声の川崎市だより   12号   100本
音のしおり       6号    80本
テープ版 かわさきガイド
 〃   選挙公報(4月)    250本
 〃    〃  (6月)    250本
 3月26日  録音コンテスト
11月20日    〃
コンテストの感想
(記録ノートより)
古沢 里美
 「まるで学芸会だなァ」と楠さんはおっしゃったけど「録音コンテストって学芸会じゃないの」と私は思ったのでした。だって録音コンテストをやる意味って学芸会的面白さなんじゃないかしら。言い換えると、準備する面白さ(要項を送ったり、道具を揃えたり、ポスター書いたり、会場を作ったり)少なくとも私は今回そう感じていたのでした。
(中略)つまり作品の発表の場で皆に聞いてもらって、聞く方は聞いて楽しむ。小野明男君みたいにテープレコーダーをカメラがわりに持ち歩いている人の場合、そうやって普段録っていてもそれを人に聞いてもらう場ってあまりない訳だから。 コンテストとなるとやっぱり入賞か否かが目的になっちゃうみたいで、それより「発表会」の方が一つ一つの作品をじっくり聞こうという気になる(適切な批評は必ず欲しいけれど)
(中略)盲学校にテープ版の要項を送ったのは遅かったんですね。私、盲学校東京のと神奈川のを調べて送るといいって気づいたのが遅くて。それなのに参加してくれたので、要項に点字打ったりテープ版吹き込んだりした甲斐があったなとおもったり、「遠くからわざわざ来てくれて悪いなぁ」と思ったり。
 コンテストが始まったら私暇だったのね、というのも水車の男性陣がほぼ全員揃っていて人手が余っていたから。それで今回は会場の参加者に話しかけて回ったのです。参加者がただ来て聞いて帰るだけでなくって、少しはつながりを持ちたいと思ってね。でもふれあい交流ってとこまでいかなかったと残念なのです。「またコンテストに応募してね。」とか形式的な事ばかりで終っちゃった気がして。
 録音コンテストも作品主義、コンテスト主義にならないで「ふれあいの場」にもっともっとしたいな。なんてったって「ふれあい広場」の催しなんだし。普段、水車の活動が読者と接しないだけに!


1984年(昭和59年)
会 長
副会長
会 計
書 記

監 査
井上 孝
岡 道子
土岐 妙子
富田 順子
小林 千代子
三幣 達也
県録連


川ボラ
町づくり
石川 義晃
高橋 昭子

斉藤 準
小林 美恵子
月刊 えつらん室    9号+特別号 76本
声の川崎市だより   12号    105本
音のしおり       7号     57本
11月23日  創立20周年記念式典  労働会館
水車小屋のお嬢さん
(読者からのお便り)
船木 鈴子
 春に体育大会があった。何年か前までは一段とトーンの高い楽しいアナウンスがあったが、それはいつの間にか聞こえなくなった。その日私はもう一つ用事があったので早めに帰ることにした。その歩き始めに、前よく交流のあった女性に会った。けたたましく出会いの挨拶をして、私は「まだ一人?元気なの?」と聞きながら通り過ぎた。たまたまカラオケの歌詞に“元気、一人どうして?”というのがあって暗記している最中で、どさくさに悪い事を聞いたものだ。バスに乗ってから、何年か前我が家で開いた忘年会を思い出した。
 「行き残り」とか「行き遅れ」とか題名のついた、それなりにきらびやかで華やかな、にぎやかな発声音のパーティーであった。すべてが小振りで小説の女主人公よろしく変わった声、頭のいい小ダヌキさん。「越後美人よ〜」とかの、しっかりおっとり優しい声の小ブタさん。私をよく山に連れていってくれた、弱そうで強そうでどこから声を出すのか、心はあったかい女ギツネさん。もう一人素敵なお嬢さんで盲人卓球の審判さんは、何か用事でこられなかったそれに小ジカよろしく身軽に飛び回って車イスの人の手足になっている先ほどすれちがった女性、古い学友で同じくひとり身。会も終わり頃、近くの一人暮らしのおばあさんを電話で呼び出した。すぐに玄関に現れたおばあさん、中をのぞくなり「まぁ美しいお嬢さんがた。どうしましょう、こんな恰好で」と大きな声を出したのでみんなころげまわって笑った。水車小屋のあの日のお嬢さん達、それぞれに幸せな日々を過ごしていると風の便り。水車小屋はお水がきれいな限り「コットン、コットン」回り続ける事であろう。美しい声が、声から声にタッチされていく事であろう。


1985年(昭和60年)
会 長
副会長
会 計

書 記
監 査
井上 孝
富田 順子
岡 道子
斉藤 準
磯野 恵一
三幣 達也
県録連


川ボラ
町づくり
石川 義晃
高橋 昭子

斉藤 準
月刊 えつらん室    5号+増刊号 80本
声の川崎市だより   12号    105本
音のしおり       8号     60本
9月8日  朗読フェスティバル
分ち合う
北沢 慧夷子
 水車の会は今年三十周年を迎える。一口で三十年と言うが、激しく変化してゆく時代の中で途絶える事なく活動を持続してきた、その事だけをとってもしたたかな時間の重みを感じずにはいられない。
 私の入った60年頃は、どういう訳かかつてない水飢饉に見舞われていたがそれでも水車はのんびり回っていた。たぶんそれはリーダーの斉藤さんの体質のようなもので、ゆったりとあくせくしない……。私の育った四国の片田舎でも、水車は一日中のんびりと水を汲み上げては水田を潤していたものだ。
 幸いにもこの気負いのないのんびり体質は、私に合っていた。自由に自分の持ち味を生かすことが出来たから、何事によらずアバウトな私の事、アクセントだイントネーションだと、キッチリキッチリ絞られていたらもう私は居なかったかも、その点、当時髪ふさふさの三幣先生、ユニークなキャラクターの楠田先生が講師だったことは幸いした。
 何といってもおとぼけな鈴木順一さん、いきなりマイクの前に座らされて、何か喋れと言う、結局あれがえつらん室との腐れ縁?の始まり。実は根が真面目人間の私、当時未だ水車の会に居た福島さんとペアーで、結構いろんな所に取材して歩いた。それを先輩方の斉藤さん、磯野さん、井上さんといった人の俎上に乗せるわけで、なにしろズブの素人がマイクを待って大胆にも取材してくるわけだから我々の心臓もさることながら、いい加減さも超一流。やれマイクの角度がどうの、雑音が多いの、景色が見えてこないのと手厳しい。最後には「ホンジャ自分で録って来たら」と心の中で毒づいたりして。
 まあ色々あったけど習うより慣れろで、何とかなるもの。たぶんその頃の私は、未知への好奇心でキラキラしていたと思う。「何でそんなに一生懸命になれるの?」と仲間の一人に聞かれて困った。まさか「楽しくて」と答える訳にもいかないし、でも今なら答えられる。それは創る喜び、聴いて喜んでくれる人がいる幸せ、音の向こう側と世界を分ち合える満足感ではないか、と。
 ともあれ、水車はこうした微力な一滴づつの力で回り続けること三十年、日本の水田から水車が消えた今もそしてこれからも、私達の水車はのんびりと回り続ける事だろう。水は豊かさの象徴。その豊かさを分ち合う事、それがボランティアの源流だという気がしてならない。 


1986年(昭和61年)
会 長
副会長
会 計
書 記
監 査
井上 孝
富田 順子
岡 道子
磯野 恵一
三幣 達也
県録連


川ボラ
町づくり
鈴木 浩史
栗原 章子

斉藤 準
えつらん室       6号
声の川崎市だより   12号    106本
音のしおり      10号
テープ版 選挙公報 (衆議院・参議院同日選)
川崎市文化賞 受賞
7月22日〜9月30日 朗読講習会
衆・参同日選挙 テープ版選挙公報製作顛末記
(S61年9月2日付け会報より)
6月29日(日)
 朝9時 福祉センター3階。ぼちぼちメンバーが集まり始める。しかし原稿が例によって届かず。10時 10名程集まったので選挙管理委員会に電話すると「行ってませんか?」「まだ届いてません」「今、持ってでま〜す。」蕎麦屋の出前のようである。10時半 原稿到着。早速読み合わせて時間を計る。参院比例代表80分、地方区60分、衆院2区50分、審査公報30分。昼食を食べながら検討し参院を2つ合わせて90分、衆院と審査公報2つ合わせて60分にまとめる事にする。選管には、比例代表は政党名と書かれている代表名を紹介するだけという事で了解をとる。13時 時間と担当者の割り振りを決めて2ヶ所で録音開始。16時 録音終了。カセット・マスターを作って、この日は終わり。
6月30日(月)
 ウィークデーのため参加者少なし。朝10時半頃より始まった。とりあえず、水車のプリンターでダビング開始。全開で動かしたためプリンターがかなり熱くなる。扇風機を借りて冷やしたけれどもプリンターがある部屋が暑いことは変わらず。30分程動かしては10分休憩。そのうち図書館側のプリンターが空いたので、そちらもお借りしてスピードアップ。16時 予定本数終了し発送。見本のテープを選管に届けて終了。みなさまごくろうさまでした。



1987年(昭和62年)
会 長
副会長
会 計

書 記
監 査
磯野 恵一
三幣 達也
石川 義晃
井上 孝
吉野 葉子
五月女 美南子
県録連


川ボラ
町づくり
宮田 和明
永吉 孝

斉藤 準
えつらん室       3号
声の川崎市だより   12号
音のしおり      10号
テープ版 選挙公報 (統一地方選) 300本
 3月1日   第6回 朗読フェスティバル
9月27日   第7回    〃
7月19日〜9月27日 朗読講習会
音のしおり第61号 進行表より
     担当者
A面  岡 道子   オープニング
    小林 春子  「噺 歌 集」    さだまさし
    吉野 葉子  「時代屋の女房」   村松友視
    福島 正美  「ガンを告げる瞬間」 内橋克人
B面  北沢 慧夷子 「戻川心中」     連城三紀彦
    吉野 八重子 「日本人って面白い」 国際教育振興会編
    岩崎 久留美 「薩南の鷹」     広瀬仁紀
 
音のしおり第64号 進行表より
A面  北沢 慧夷子  オープニング
    添田 毬子  「花は来年も咲くけれども」 阿部光子
    小林 春子  「男たちのサラダ記念日」  片岡直彦 他
    岩崎 久留美 「無常という事」      小林秀雄
B面  吉野 葉子  「風 景」         大橋 歩 
    北沢 慧夷子 「北の人名録」       倉本 聡
    福島 正美  「恐慌が迫る」       大森 実


1988年(昭和63年)
会 長
副会長
会 計
書 記
磯野 恵一
岡  道子
石川 義晃
吉野 葉子
宮里 恵子
県録連

川ボラ
町づくり
福島 正美

斉藤 準
えつらん室       5号     70本
声の川崎市だより   12号    105本
音のしおり      11号     69本
7月〜9月  朗読講習会
顧みて
(S63年度 総会資料より)
吉野 葉子
 私が水車の会にお世話になるようになってから、早いものでもう3年を経ようとしている。ライトセンターで厳しい講習を受けピリピリしていたのに、こちらへ入れて頂いたら実に和気あいあいとしている。みな心が暖かい方達ばかりで、仕事がしやすくホッとしたことだった。それだけに、一人一人がしっかりしていないと、ともすればルーズに流れてしまいがちだ。入会した時はちょっとびっくりした。特に指示がある訳でなく、自分でどんどん仕事を見つけて自分で処理していかなければならない。それだけやりがいがある。仕事は複雑という程のものではなく、作業は比較的簡単だけど、視覚障害者の方々を相手に仕事をさせて頂くので、間違いがあってはいけない、その点緊張する。最近は「音のしおり」のレギュラーの他に「市政だより」も交代で編集に携わらせて頂くようになった。まだ時間内に割り振ることに慣れていなくて、ドキドキの連続だ。うまく入った時は本当にホッとする。もう何年も手がけておられる先輩は、実に鮮やかに鋏み片手にテキパキと処理をしておられる。私も一日も早くそうなりたいと思っている。 (中略)
 欲を言えば仲間同志の研修が欲しい、マンネリになるとつい見逃される部分が多いので、お互いに勉強したり批評し合ったりの場があると良いと思う。それから読者とのコミュニケーションの場が少ないと思う。(全くないわけではないが)日頃、お互いに言いたくて言えない事を自由に話し合えたらと思う。ともあれ「水車」は今日もよどみなく動いている。感謝の他はない。


1989年(平成元年)
会 長
副会長
会 計

書 記


監 査
三幣 達也
岡  道子
石川 義晃
井上 孝
吉野 葉子
小松 敏雄
小松 芳子
早乙女 美南子
県録連




川ボラ
町づくり
福島 正美・三幣 達也
早稲田 文子・田中 久子
植村 和子・川内 幸江
門馬 糸子

斉藤 準
えつらん室       7号+特別号  85本
声の川崎市だより   12号     110本
音のしおり      11号      70本
創立25周年
月刊えつらん室200号突破
11月26日  第8回 朗読フェスティバル
劇場みずぐるま・あれこれ
(H1年2月21日付け会報より)
楠田 五郎
 えつらん室には必ず”劇場みずぐるま”が入る。そのたびに何かしら脚本を当てはめるのは大変だ。ドラマを10分前後にまとめる仕事は正直言って30分ものを創作するよりも難しい。それを数年前まで、鈴木順一さんが月に1本づつ用意してくれていたのだから、ご苦労さまでしたと改めて言わざるを得ない。もっとも時に助太刀はあった。古沢里美さん(故人)、鈴木克子さん、富田順子さん、石川義晃さん、等々。
 面白いのも、それ程でもないものもあった中で、私がいまだに覚えているのを2つ挙げれば、まず、藤森恵子原作「31日水曜日」だ。
 大晦日の深夜から元旦の夜明けまで・・・いろいろと文句を言おうにも言えない人たちが右往左往している。バイトで折角稼いだ金をマージャンで使い果たしてしまった大学生、放浪のハングリーギャル、営業不振でせめて従業員たちに心ばかりのボーナスくらいはと、金策に走り回っている零細企業の社長、その他。三幣さんの社長が特に良かった。
 「ノックの音が」も覚えている。夜の山荘の一室で何やらいわくありげな二人の若い女がひそひそ語り合っている。そこへノックの音。現楠幸雄夫人の正子さんも出演していた。小林美恵子さんの謎の女も好演。(中略)
 みずぐるまはこれからもずっと続けて欲しい。ドラマはいいものだ。芝居をやっている人間に悪い奴はいない。私もその一人だ。念のため。
 


1990年(平成2年)
会 長
副会長
会 計

書 記

監 査
三幣 達也
岩崎 久留美
石川 義晃
井上 孝
奥村 令子
内田 祥江
河西 善雄
県録連


川ボラ
町づくり
吉野 葉子
内野 文夫

斉藤 準
えつらん室       6号
声の川崎市だより   12号
音のしおり       7号
テープ版 選挙公報 (県議・市議)
11月25日  第9回 朗読フェスティバル
 7月〜10月  朗読講習会
音のしおり第91号 進行表より
 
      担当者      推理小説特集
A面  岩崎 久留美  オープニング
    川内 幸江   「特急ゆふいんの森 殺人事件」 西村京太郎
    植村 和子   「メディチ家 殺人事件」    塩野七生
    早稲田 文子  「私が殺した少女」       原 僚
B面  奥村 令子   「紅い白猫」          松本清張
    本間 孝子   「水中眼鏡の女」        逢坂 剛
    今枝 和子   「逃亡弁護士」         和久峻三
    岩崎 久留美  「カロリー 糖分 塩分 ガイドブック」
音のしおり第95号 進行表より
A面  本間 孝子   オープニング
    門田 則子  「アメリカインディアンの教え」 加藤諦三
    関 浩志   「黒豹ダブルダウン1」     門田泰明
    石川 清子  「病院の検査がわかる検査の手引」安藤幸夫
    内田 祥江  「天上の青」          曽野綾子
B面  小堀 君恵  「ボクの学校は山と川」     矢口高雄
    今枝 和子  「紫の山」           芝木好子
    関 美奈子  「スペインのかげり」      辻くにお



1991年(平成3年)
会 長
副会長

会 計


書 記

監査
岩崎 久留美
井上 孝
内野 文夫
石川 義晃
磯野 恵一
井上 孝
山口 久子
関 美奈子
三幣 達也
県録連

川ボラ
町づくり
内野 文夫

斉藤 準
えつらん室       6号     85本
声の川崎市だより   12号    110本
音のしおり       6号     73本
朗読アナウンス講習会
鬼ぐるみを潰せ!
(H3年6月25日付け会報より)
岩崎 久留美(旧姓 小野)
 元来あきっぽい性格の私は、水車の会に入会した時から熱心に出席していなかった。当時(20〜10年前位)は上手な人がいっぱいいたし、自分自身若い盛りで他にも目移りして、やれ図書館学講座だ、やれ洋裁だと興味のむくまま動いていた。そんな状態だから水車の会へはつい足が遠のき、それらが一段落すると水車へ顔を出すの繰り返しだった。その当てにもされていない眼から見てもいいメンバーを抱えていて、実にエネルギッシュに水車は回っていたし、回り続けていると信じ込んでいた。
 ところが、数年前から水不足を起こし水車の回り方が少々円滑でなくなっていたらしい。昔からのメンバーが転勤やら、家庭人となって休会に追い込まれ、実際の活動からはほとんど消滅してしまった。
 この間先輩不在の水車の会を回し続けていてくれたのは、入会間もない新人さん達だった。何も分からない中で、市政だよりを始めとする3種のテープを止める事なく発行し続けていたのには、頭が下がる思いがする。
 だが残念なことに、朗読講習会を卒業しただけでその後の教育(ちょっと大げさかも?)を受ける機会を失って、マイク前のエチケットなどがまったく分からぬままの録音に、読者の方々からの苦情が図書館の方へ殺到していた。
                   (次ページへ続く)


1992年(平成4年)
会 長
副会長

会 計

書 記

監査
岩崎 久留美
内野 文夫 
北沢 慧夷子
石川 義晃 
井上 孝
今枝 和子 
山口 久子
三幣 達也 
県録連


川ボラ
町づくり
添田 毬子・桜井 由美子
遠藤 素子・福島 幹枝

斉藤 準
えつらん室       6号     87本
声の川崎市だより   12号    114本
音のしおり       6号     80本
テープ版 選挙公報 (参議院)   400本
8月18日〜10月13日 朗読アナウンス講習会
(前ページから続く)
 そこで登場したのが、意地悪ばあさんならぬ“鬼ぐるみ”である。会員歴が古いというだけをバックボーンに「モニター制度を復活させるから」「本番前に読みをチェックしてもらって!」「変なところでつっかえたままにしないで、やり直し!」「急に上手くなれっていったって無理なんだから、せめて練習ぐらいしておいで」と、自分自身にも出来ない事をも、他人には厳しく注文をつけている。
 「ボランティアなんだから出席した人全員が声を出し、楽しくやれればいいじゃない。」「なぜそんなにうるさく言うの?」と批判の声もありそうだが、これはカルチャーセンターじゃない、生活上、声に頼らなければならない読者の方々への朗読なんだ、録音したテープが聞き取りにくけりゃなんにもならないんだ。と心を鬼にしながら、意地悪ばあさんに徹しようと思っている。(中略)
 先輩不在時の原動力となって活躍し、今まさに水車の中核となっている会員の方も、平成という新しい年号のもとに入会して下さった会員の方も他人に厳しく自分にはかなり甘い、この鬼ぐるみをどんどん踏みつけて、聞き取りやすい読み方を、是非身に付けていって欲しいと願っている。
 


1993年(平成5年)
会 長
副会長

会 計

書 記

監査
内野 文夫
岩崎 久留美
北沢 慧夷子
石川 義晃 
井上 孝
今枝 和子 
山口 久子
三幣 達也 
県録連


川ボラ
町づくり
遠藤 素子
福島 幹枝

斉藤 準

鈴木 順一
えつらん室       6号     95本
声の川崎市だより   12号    120本
音のしおり       6号     90本
テープ版 選挙公報 (衆議院)
  〃    〃  (川崎市長選、麻生区補欠選)
2月22日〜3月15日 朗読アナウンス講習会
H5年7月19日付け 読者からのお便り
平林 寿美子さん
 水車の会でお送り下さるものは、どれも楽しみに待たせていただくものばかりですが、この「選挙公報」はなんとも真剣に緊張の趣で心からお待ちするものでございます。放送ではなかなかこの神奈川2区が聞けず、やっと聞けたと思うと9人中3人分で、次の6人の放送時間は予告してくれるのですが、あいにくこちらの都合で聞けなかったり……こんな中でのこのテープは何回も何回も逆行しながら聞き返せますし、本当に有難いことです。ご近所の方にも友人にさえも時間が結構かかることでもありますし個人的にはなかなか頼みにくい事でございますもの。
 また、今回は人数も少なかったこともありましたが、皆んな皆んなペースも良くハッキリと聞き取ることが出来まして感謝いたしております。
 私はこれによっていつも最終的に選ばせて頂いております。棄権と頼まれたからと、鵜呑みでの投票は絶対にしたくないということです。
 今回はいつもより2〜3日も早くて火曜日に届きました。ありがとうございました。今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。


1994年(平成6年)
会 長
副会長

会 計

書 記

監査
内野 文夫 
北沢 慧夷子
遠藤 素子
鈴木 美穂 
山口 久子
徳重 豊
大沢 広美
三幣 達也 
県録連


川ボラ
町づくり
遠藤 素子
福島 幹枝

斉藤 準

鈴木 順一
えつらん室       6号    101号
声の川崎市だより   12号    120号
音のしおり       6号     95号
11月8日〜12月13日 朗読アナウンス講習会
三十年というのは相当に長い
遠藤 素子
 三十年というのは相当に長い。この長きに渡って水車を回し続けることの大変さは、その時代を支えた会員だけが知り得るところだろうが、その時代が三十年続きその労苦を知る会員はかなりの数にのぼるだろう。
 会員の中には三十年を支え続けている人と、短期だが熱い想いで関わった人がいるわけだ。このあたりが「水車の会」の長続きの所以かもしれない。脈々と受け継がれるものと、その時々のヒット作りと。
 相当に長いことの良さは誰しもが思い浮かべることだが、当然の如く配慮しなければならないことも多々あると思う。自分が今どこにいて何をしているのかという緊張感ではないだろうか。自分だけ、自分達だけがわかっている他者を感じさせないテープ作りはしてはならないと思うし、また間違ってもならないと思う。そのためにはそれぞれがアンテナを張り巡らすことではないか。特に「声の川崎市だより」を担当するにあたっては、まず私達は川崎にあって、川崎に縁のある方々へ情報を伝えることにもっと真剣であらねばと思うし、丁寧でありたい。作り手、送り手の人間性を問われていると思いたい。
 三十年というのは相当に長い。やはり勇気とやさしさがこの年月を支えたと思う。先輩達の、無理はしていないが努力はしている、その姿勢に学びたいと思う。


会  則
1.名 称
本会の名称を『水車の会』とします。 
2.活 動
 本会は、視力障害者用録音図書の製作を通じて、視力障害者との接触を深め、さらにその福祉増進のために次の事業を行います。
(1) 視力障害者用録音図書、雑誌の製作
(2) 視力障害者家庭訪問
(3) 盲人図書館運営についての協力
(4) その他目的達成のために必要な事業
3.会 員
本会の会員は前記の活動への参加者をもって構成します。
4.役 員
(1)  本会の役員は、会長1名、副会長1名、書記2名、会計1名を総会において選出します。また必要な場合は会計監査をおきます。
(2)  役員の任期は1年とします。ただし再任を妨げません。
5.顧 問
本会には顧問をおくことができるものとします。
6.会 費
本会の会費は年額1,500円とします。
7.事務局
本会の事務局は、川崎市盲人図書館内におきます。
8.会 合
(1)  総会を年1回4月に開き、年次報告、来年度事業計画の決定、および、役員の選出をおこないます。
(2)  定例会は原則として毎月1回開催し、会の活動状況の検討、視力障害者家庭訪問結果報告、会員相互の親睦を図ります。
9.年 度
本会の年度は、4月1日から翌年3月31日までとします。



あとがきにかえて
 30周年記念誌を編集するにあたり、たくさんの古い資料や記録などに目を通しているうちに感じた事は、その時々の水車の会のメンバーが、前向きにイキイキと活動している様子がうかがえる事です。もちろん多くの苦労や悩みなどもあったでしょうが、一人一人にとってはきっと意義のある充実した時を過ごせたのではないかと思います。
 そうした人々のバトンタッチによって30才を迎えた“水車の会”。しかしこの年を迎えられたのは、なによりも、つたないテープを聴き続けて下さり、励ましとエールを送り続けて下さった読者の皆さんのおかげだと思います。そしてさらに大きく成長するには、私たちは、これからの会の歩む方向を、活動のあり方を考える必要があるのではないでしょうか。
 最後に、お忙しい中この記念誌の為に原稿をお寄せ下さった皆さんありがとうございました。

                  編集担当  杉友 三千代

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